学校沿革 ◆ 成東高校120年の出来事を 簡単に追ってみました。 1900(明治33)年2月2日千葉県佐倉中学校成東分校設置同4月1日元倡寺で選抜試験。84名合格同4月8日湯坂法宣寺で入学式 1901(明治34)年4月13日本校となり、千葉県成東中学校と改称。同5月12日開校式(開校記念日)同5月17日千葉県立成東中学校と改称 1915(大正4)年3月校訓三ケ条を定める。※本校は開校以来「質素」を旨としたが、「質実剛健」の語が校訓類に出てくるのは昭和以降である。「質実剛健」は、「國民精神作興ニ關スル詔書」(1923年)から急速に学校教育に普及した語と思われる。諸氏のご教示を待つ。 1945(昭和20)年8月13日成東駅頭の悲劇。※終戦直前に駅が米軍の機銃掃射を受けた。その際、本校OBを始めとする駅員達が身を挺して消火活動をするも爆死、死者41名を数えた。現在も駅前に「礎の碑」が残る。本校OB戦没者は、判明しているだけで340名を数える。 1949(昭和24)年4月1日男女共学。112名の入学者のうち、女子14名。※下段中央は本校初の女性教諭中村八千代氏(家庭)。 1951(昭和26)年4月1日緑海村に分校誕生。定時制普通科で1956年まで存続した。 1967(昭和42)年6月6日新校舎に移転。※1963年 校舎改築の請願1969年、校舎全面改築記念祝典 1989(平成元)年7月野球部悲願の甲子園出場。※明治時代からの伝統を誇る野球部がついに甲子園出場(二回戦進出)。作詞家阿久悠氏が詩「敗れざる君たちへ──88年目の歓喜」を寄せたほどの喜びであった。 2000(平成12)年10月31日記念館竣工。※創立100周年記念事業の一環として実現した。